【日刊レビュー】無能なマネジメント&有能なマネジメント

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突然聞いた問題の指摘

先日ブログに書いた炎上プロジェクトの立て直しと反省について、元社員のAさんから「口だけでなにもしなかった癖に!」という指摘をカウンターブログで頂いたりしたのですが、そんな指摘とは反対に、私が総ナメで作り直しと責任丸かぶりしてたことについては感謝してる的な(言ってるの同じ人)、いったい何なんだよそれ?と思うので聞いてみれば、そうした目に遭わせた(彼は元Dだったけど投げ出してしまった。投げ出したのはマネジメントのせいだとのこと)会社のマネジメントは無能だろ。とのこと。

なんか苦しい言い訳な感じですが、とかく「マネジメントは何もしなかった」という指摘と(いろいろブログの炎上に伴い、口だけの無能野郎という指摘=壮大に私が無能ってなった話と違うけど、それはまたしょうがない)あまりにも良くある失敗要素なので、せっかく「こういう失敗に気をつけよう」と思って書いたブログなので、超簡単な無能と優秀の差の話を一つ書きました。

 

この話、基本すぎてしょうがないですが間違えなければ目覚ましく違う結果になるもの。覚えておいて損はないのではと思います。

 

どんなマネジメントがいいのか?まず、悪いマネジメントとは

悪いマネジメントは、人によって方法論が異なる際、自分の都合のいい方法論や解釈を選ぶ・変える余地がある。です。(つまり、その余地をいかに無くすかが大事な話)

Aさんがディレクターだったプロジェクト(Iさんて方が責任を持つ形で発足)では

「知識と経験豊富な人がいるので、信頼して最後まで現場に任せるマネジメントにして欲しい」から始まり、

経験豊富と自称する責任者(あのブログでIさんとした人)は

「失敗しても責任を取るのは俺(Iさん)、最後まで自由にやりなさい、的なマネジメント」になり、何度も延期と増員をしてこれどーすんの、ってとこまで逝った後。

Aさんは「要望したからといって好きにやらせろを放任する社長のマネジメントに問題があった(ここが無能)」と指摘するに至るのですが、なんか書いててディザスターすぎるのでなんとも言えない思いです。外部から責任追及されるのは社長は総責任者として当然なのですが、当事者がこういうのは単なる投げ出しってものですよ。

大なり小なり、方法論を当事者にとって都合のいい話に変える癖があると迷走が半端じゃないことになるという結果は当然、じゃぁ、どうすればそれを防止できるのでしょうか。

良いマネジメントの話の前に、いい意味で感心したのは、進行するにつれ取り返しのつかないほど遅延が続き追い込まれる心境のAさんに、Iさんは「心配するな、責任取るの俺なんだから」と優しい声(有能)をかけ続けました。確かにそこから見たら、「信頼して黙って見てろ」の現場要求を信じてた私はバカみたいな気もします(レビューでの指摘をしつつ延期と予算調整で裏で地獄見てましたが)。変な話に感じますが、Aさんに言わせれば拠り所を作るマネジメント論ということで見習えって話のように感じました(結果からみればそのまま見習うことはできませんが)

要するに「経験豊富というIさんの言うやり方に依存したかった」から始まり、うまくいかないにつれコロコロと方針や問題提起が変わってしまったのですが、ここで重要なのはマネジメント(方法論)とは「誰かのやり方」に、変えることができる、と思ってしまう点が落とし穴です。

結局、AさんIさんはプロジェクトがなんとも立ち行かなくなり辞めてしまいましたが、最初に言われた「信頼して任せろ」という言葉の時、後述する話さえできてれば、何かが違ったのではないかと心残りではあります。

 

ちょっと変えただけで驚きの改善!良いマネジメントとは

「まず、我々の中で当たり前とすることの話をしますね」、その後のプロジェクトのキックオフでの開口一番の言葉。私からの言葉ではないですが、「こう言うやり方でやろう」という話について「当たり前の話」という注釈から始まりました。

  • 終わった仕事を報告する
  • 着手する仕事を報告する
  • 困ったことを相談する

を全員揃って毎朝やる。遅刻や欠勤でできない時は、各自自主的にフォロー(報告をメールするなど)しあいましょう。それが当たり前にできるようにしましょう。

そう言って始まったそのプロジェクトのパフォーマンスは、全く比べ物にならない進捗と完成度、誰も残業をしないなど、劇的な改善となりました。

しかし、実はこうした方法論は「知識と経験豊富なIさん」がジョインするまでは近しいことをやっていたのに、いつしか「欠勤が激しく多いIさんの言う事に任せる」にチームが合わせてると、ずるずると消滅していったもの。

そこに対し「人によって方法論は違う」と言った場当たりなフォローをしてるうちに見失ってしまったものでした。

 

「マネジメント」とは言葉、「当たり前」は約束

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方法論
複数ありえ、その際は各自で都合のいい話を狭い輪の中で適用しようとするのが大きな問題です(例えそれが遅刻欠勤の嵐を肯定するどうしょうもないものでも)、当たり前(約束)は単一のものと認識共有がしやすいもので、そうした事故の起きる確率は大幅に減るものと学びました。

そうした、言わずとも「約束」とわかるだろ?と思ってることでも、人数増えると各自で勝手な方法論を言い出しちゃう現象はどこも歩んでいて、いろいろな大手も創業時では痛い目を見たのか、社訓にそうした約束事を書き加えています。うちも書いてたんですけどね。

私も壮大な授業料払って痛い目みた手前、反省は考えつつ、自分が毎日顔合わせてる人たちとは「約束」を保てても、それ以外のチームの人がWebに「社訓」的に書かれた方法論なんて気にしないので、名刺の裏にでも書いとけば少しはマシかなと思ったんですが、そんな話をする相手も今はいないのでブログに書いてみたり。そんなアイディアがツボった経営者の方がいましたら是非やってみてください。

有能なマネジメントとは「マネジメントの議論はしない、当たり前・約束と言う」です。

もちろん、約束が守れそうにない場合は相談して、どう着地するかを決めなおしましょう。それが出来てて破綻したプロジェクトを私は知りません。

話の発端と総括

残念な話と失敗の本質(ちょっと闇・クリックでオープン)

私が全チームが約束を果たすのを監督できなかった事実(組織構造として約束の連鎖がこのチームとは途切れてしまった事実)は大失態でしたし、責任を取るために本当に四苦八苦しました。 

「要求したら好き勝手にやらせやがって無能の放任やろう!投げ出したけどケツもってくれて感謝はするが、本当に口だけだったな!」

例示した炎上プロジェクトを経たAさんの言い分はちんぷんかんぷんでしたが、これも、誰それが正しい悪いという話ではなく重要なのは前述したように「自分の都合のいい方法論や解釈を選ぶ・変える余地はマネジメントとして失格」が肝要な点。

(ちなみにAさんの要請する期間延長と人材や機材、資金の追加調整は殺人的な困難なので、Aさんが私が何もしてないように思ってくれたのは心配かけないように計らっていたのが上手くいきすぎではあります)

「信頼して任せるマネジメント」「KPI」と言った言葉を都合良く解釈し、最後は破綻というケースと「約束・当たり前」「狙い・目標」という言葉で運用したプロジェクトで天と地の結果を見て、上辺で横文字を使う人は一定数いる危険はつくづく業界の定番ノウハウだなと思うところでもあります。

その炎上プロジェクトでは、最初は「F2Pと課金がわかってるのは俺だけ」とIさんの喧伝する立派な(えー、その勢いはパズドラを余裕で作れる的な。それは無視としても、パズドラをはじめとした、基本的な仕組みをわかってるものと期待しました)話がエスカレートし、実際はゲーム性・進捗に再三の問題提起を周囲にしてもらいながらも、「わかってない奴は黙ってろ」と分裂的な齟齬が芽生えてたと思います。

正直、そういう場面で最大級で詳細に突っ込んでた私は、もっともわかってないからうるさいだけのバカと思われてたかもですし、退職されていくまで対処には本当に困りましたが、失敗のまま放置すればリストラ問題に着火する危機でもありました。

この失敗の本質は根深く、プロジェクトが盛大に炎上する中でも「俺はわかってる!お前らはわかってない!」とエゴが増長してく状態では、いくら期間延長・増員しても助けになりませんでした。

悲しい真理ですが、問題が自然分離(退職)した後に0が1に進むような進捗になる際、その本質を反省会で語り合う時は、反省すべき人もいないし、ともすれば遺恨の弁も出るもの。

「俺はわかってるのに」と主張し続けるエゴに飲まれ炎上で仲間がリストラまでされる(実際は誰もそんな目に遭わないよう工面の連続)ことが二度と起きないように、もし、炎上などの問題に直面されてる方は「当たり前と約束」の整理を是非やってみてください

余談ですが、Aさんのみならずそのチームのメンバーが大変によく頑張っていたことは嘘偽らざる気持ちで見ていました。それゆえに上記のような問題をひきづって破綻したのはとてつもなく残念なことです。最初はお互いをかばうちょっとした大義名分(有能(多分)だが病気という設定なので進捗のこぼれもしょうがないなど)から約束はほつれ出しがち。しかし、こぼれ続ける原因を放置するのは、ガソリンをかぶって火がつくのを待つようなもの、炎上とは進捗しないことから生じてしまいます。チームへ外圧的に引火を防ぐ水をかけようとしても(方法論の指摘や勤怠の指摘、レビュー等)、大義名分に発展した引火材料はそのチームの中ではずっとくすぶり続け大炎上、「どうしてこうなった」と言われる原因のほとんどは、かつては大義名分のように仕方ないとしてしまったものばかりでした。それらは炎上後にチームの立て直しに入った人から見れば「なんでそんなものを大事にしてたのか」としか見られない、しがらみの残骸に見えたと思います。

どんなプロジェクトも「面白いゲームを作りあげることを約束した仲間同士」で始まりますし、最後までビカビカの純度で駆け抜けたら多くの人の記憶に残る傑作にもなりえます。大義名分を作ってその約束を失うのは本当にもったいないです。

 

もちろん、どんな問題も起きれば問われるのは総責任者である社長、現場の意見が「信頼して任せろ」から「放任のクソ野郎」に変わるのも当たり前。

かつ、炎上事故の辛さは骨身にしみるもの、特に形が残らなかったプロジェクトだと、誰のせい、あれのせいと不毛な議論に発展すれば、せっかくできた戦友も疎遠になりがち。

炎上の先にあるリストラ、倒産と言った究極の災害の際、せっかく築いた戦友がとてつもない社会的ダメージを負ったり、ともすればさらに迷走した人生になる惨状は何が何でも避けるべきです(うちはなんとかリストラも倒産もしませんでしたが)

責任を取るとは謝罪だけではなく、そうした事故を防ぐためのアクションが何かがまた大事なんですが、今はこんなブログだけ。生きてく上でなんか足しになれば幸いです。